第19話
キラが近づくと、アスランは涙ながらに…それでもちょっと辛そうにほほえんだ。 「そんなに泣かないでください…」 「ごめ…。でも、嬉しくて……」 「社長に泣かれると、僕…どうしていいかわかんなくって…困るんです」 「手を…触ってもいい?キラの、手…」 いつもならあり得ないことがこの時起こっていた。アスランがあらかじめ聞いてくるなど、今まででは決してあり得なかった。 キラのハンカチを握りしめ、辛そうにほほえみながらけなげに尋ねてくるアスラン。ほぼ間違いなく勘違いをしていることは判っているが、いつものようにつっけんどんに答える気には到底なれなかった。 いいですと答え、自分から手を差し出すキラ。その手を、どこまでも優しく包み込むように、アスランは握った。 「……ぁ…」 瞬間、キラの頬に朱が走る。 キラ自身でさえ判ったことなのだ。例えへたれていてもアスランがそのことに気づかないはずがない。 「キラ…ありがとう。辞めないで、ずっと俺の秘書でいて。そして…」 アスランは何かを言おうとしたらしい。だが、その言葉はかき消され、代わりに信じられない行動が取って代わった。 ぐちゅ…ズズズズ…ぐじゅる………ふゎ…ち〜〜〜〜〜ん! 「あ…僕のハンカチ……」 あろう事かアスランはキラの目の前で、彼女に借りたハンカチで鼻をかんでしまったのだった。 「ごめんキラ!ちゃんと、洗って返すから!アイロンだってかけるから!」 アスランはあわてて立ち上がり、キラに弁明しようと彼女の両腕をつかんだ………ところまでは良かった。 お約束のように二人はバランスを崩し、盛大な音をさせて床にもつれるように倒れ込む。 「あぁああああのっ社長!大丈夫ですか?どこか打ってませんか?」 キラが焦りまくるのは当たり前だった。アスランはキラを傷つけたくない一心で、自分が床側になるように身体をねじって倒れたのだから。 で、それは当然キラがアスランに乗っかっているような体勢に見える訳であって………。 「あっ!すみませんっ、どきますから!僕…重いですよね?」 ぐいっと引っ張られた感覚が、一瞬どうなったのかキラには理解できなかった。キラの真下に仰向けに倒れているアスランは、キラにそのままでいいと言った。 「でも…」 これじゃ…これじゃぁ……白昼堂々秘書が社長を襲っている姿なのではないか?困惑して、汗も噴き出ようと言うものである。 「このままでいいから、冗談だと受け流さずに、ちゃんと聞いて?」 「……はい」 「今夜、仕事が終わってから、時間が取れる?」 「は?」 唐突な話にキラは面食らった。 「キラをね、食事に誘いたいんだ。そこで…ちょっとだけ、話を聞いてもらえないかな?」 いつもなら考えるまでもなく「嫌です!お断りします」と言っていたところだった。けれども、なぜかその決まり文句が口から出てこなかった。 「………はい。いいです」 小さい声で、キラはOKを出した。 アスランは再びありがとうと言って、そのままキラを両手で抱き込んだ。制服とスーツ、布越しにはっきりと伝わる体温が、なぜかとても温かく、そして同時に恥ずかしくてたまらなかった。 「ぁの…社長……っ」 「名前…呼んで?」 「いやそー言うことじゃなくって…」 「しばらくこのまま……キラの温かさが、触った感じが気持ちよくて…」 事実この部屋にはもう誰も来ないことは判っていた。 何本か電話がかかっていたが、ちょっとの間のことだったので無視した。きっと相手も出られない状態だと思ってくれているだろう。 いま、自分の頭をひたすら撫でてくれているアスランの大きな手が、嫌らしいものには思えず、キラは半ば陶然となった。 心臓は相変わらず悲鳴を上げるほどに早い拍動を繰り返している。アスランの胸にすがっていた手が、わずかながら震えた。 「怖いの?」 「いえ、その…わからなくて……どうしていいか、わからなくて…」 「大丈夫。このままもう少し」 「はい…」 アスランはこの時、いつもの余計なせりふは言わなかった。言葉もとぎれがちで、一言一言を慎重に喋っている感がある。 こんな社長の姿を、キラは知らなかった。 夕方5時過ぎ、早めに仕事を片づけて、キラはアスランの車の助手席に初めて乗った。その後、とあるホテルの最上階のレストラン−会社が経営している店だが−に入ると、支配人が奥から出てきて二人をVIPルームに通した。 「予約してたんですか?」 「いぃや、全然。彼が今日の予約はないって言ってたから。俺は別に一般席でも良かったんだけどね」 「でも、仮にも社長ですし…」 「大丈夫vもし仮に予約が入っている状態で、こういうことをしたなら俺は彼を解雇するから」 「社長!」 「名前、呼んでキラ…」 「ぇ…」 もうすぐ夜になろうかという夕暮れの光に照らされる青緑の瞳に、自然に心が奪われた。 「だいたいノンアポで来てるんだから、予約客を優先させるのは当然だろ?」 「それは…そうですけど」 今は勤務時間外だし、社長と言っても一社員であることに代わりはないわけだから。と、アスランはにっこりほほえんで付け足した。 「たまにはマジメになることもあるんですね」 「たまにはは余計だよ。いつだって俺はマジメなんだけどな」 「そうは思えないです」 ガクー。 「あ…」 「判ってたけど…キラに言われるときついなぁ…」 アスランがお任せで頼んだ料理が出てきた。ちなみにまだ疑っているキラが支配人に訊ねると、本当に予約は入っていなかったらしい。 「キラ…まだ疑ってるんだ…」 アスランは柄にもなくテーブルにのの字を書いている。 「いや、僕見直しちゃいました」 「え?俺のこと、好きになってくれた?」 「う〜ん、それはまだ…微妙ですけど……」 答えながらも、キラの心はなぜか痛んだ。 「ぅあ”…ひどい……」 「今までが今までですから」 やはりキラは心にちくりと来るものを感じた。 「じゃぁさ、これから…俺を好きになってくれるってのは、アリ?」 「…え?」 ここまでくればさすがにアスランの言わんとしていることは解る。 解るが………どうしてこんなにこっ恥ずかしいのだろうか? 来るべき言葉を紡ぐであろう彼の唇を、彼女はかたずを呑んで見つめた。 第20話へ→ 言い訳v:今回第2のコンセプト「泣き虫アスラン」 次回予告:へたれの初キッス。次回で最終回になります。 |
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