第12話
夜11時前。にわかに増えた仕事は、キラの口添えで思ったより早く終わることができた。 「お疲れさまでした社長」 「うん…疲れた。すごく疲れた。あぁ本当ならこんな時俺にそっと寄り添って、優しく背中をなでながら慰めてくれて、その可愛らしい唇で俺の口を塞いでく…ゴヴゥァ”ア”ア”ッ!!!」 人気の少なくなった会社内に響きわたる社長の悲鳴。 「ああ、また怪奇伝説が増えてゆく…」 目の前で見ることしかできないキラが、溜息をついた。 この社長、やれば仕事はできるし、容姿はいいし、人当たりも悪くない。 ただキラのことに関してだけ、へたれで変態でどうしようもない男だった。だがそうは言っても、この男からキラを取り上げてしまえば全くの役立たず……ならまだいい、迷惑千万なのであった。 ここの社長は今、部下であるはずの営業部長に分厚い辞書で殴られ、まるでマンガか何かのように頭が胴体にめり込んでいた。 「よくありましたね今時そんな分厚い辞書…」 キラが感嘆していると、ニコルがさも当たり前かのような答えを返してきた。 「ああこれ?これは発情犬のしつけ用に置いてあるんです」 「発情犬…?」 「アスランのことですよ」 ああそうか、とキラは得心がいく。確かに彼は頻繁に「発情」する。その発情こそが大問題なのだが。 「でも、犬は叩いてしつけちゃいけないって聞いたような気がするんだけど」 すっかりその気になってキラはニコルと話をする。社長=発情犬扱いなど、否定もせずにスルーだ。 「でも、褒めてばかりでもしつけになりませんからね。僕が時々叱らなきゃいけないんです」 「そりゃ…そうだと思うけど。ニコルさんが来てくれれば僕も安心だけど」 殴り倒すのはさすがに可哀想、とキラは言うのである。 ニコルは笑顔を全開にして彼女の不安に答えた。 「大丈夫ですよ!本物の犬は叩いちゃいけませんけど、アスランなら大丈夫です!犬並みですけど犬じゃないですから」 「そっか。そうだよね〜」 容姿端麗、成績抜群のカリスマ若社長は、こうして目の前で重役と秘書にこき下ろされた。 ああ”〜〜〜っひどいよぉ…ニコル!そんなに言うことないじゃないかぁ〜〜。 そして始まった、社長の号泣。 「いい加減鬱陶しいんですっ」 「俺…今日すごく頑張ったんだよ!キラができない分まで、あっちこっち行ったんだよ」 「あのですねアスラン…それ9割方あなたの責任ですから」 ぴしゃりと言われてアスランは固まる。彼にはサッパリ事態が飲み込めていないのだ。 「何で?」 ピキ…ッ……と、音がした。 ピキピキピキ………と、連続して聞こえ、そして…ガシャァン、パリーーーンと、何かが…何かが割れるような音が聞こえた。 「今さら何でと聞きますかこのトリ頭が!僕が散っ々ネチネチクドクド言って聞かせたことを、きれいサッパリすっかり真っ白に忘れていた、この小魚並みの脳みそのせーでしょうがぁあああッッッ!!!」 う゛ゎぁぁあああああ〜〜〜〜〜〜んん……………。 号泣は再開されてしまった。まるで子供だ。 余談だがニコルの言う「小魚並みの脳みそ」は、ある意味正しかった。たとえニコルが半日をかけて何百回と説明したところで、アスランの頭に刻まれることなく、彼は目の前のエサに飛びついてしまうのだから。 ニコルの刺したトドメはとても効いた。今この瞬間だけだが。 だからニコルはキラに目配せをする。いくらニコルが叩きのめしても、キラの一言さえあればアスランはいくらでも復活する。 小魚並みの脳みそだからこそ、このやり方は非常に効果が高い。それこそがニコルの当面の作戦だった。 「社長」 「あ〜キラv救いの手だぁ。神は俺を見捨ててなかった。こんな俺にも優しくて美しいキラの本当の愛をく…「帰りませんか?」 「………え?」 いきなり変わった話題にアスランは面食らった。 ムリもない。この男、感情が暴走し始めると、意識が現実からかなり離れたところに行ってしまう悪癖があった。 「だって、今日もう遅いし。ここにずっといるわけにもいかないですよ」 「あ、そっか。そうだねキラ」 キラはホッとした。やっとこさアスランの脳内暴走が一時停止し、常識ワールドに戻ったと思ったからだ。しかしそれも、あくまで一時停止であって、立ち消えになったわけではないとすぐに痛感する羽目になる。 「じゃ、キラさん。今日から僕の家に泊まりませんか?」 ニコルが言う。 そうだ。このサイズになったことで、部屋に帰っても何一つまともにできないのであった。 「良いんですか?ニコルさん」 「家族には事情を話せば判りますし。何よりこのサイズですからね。キラさん一人泊めたところで全然苦になりませんよ」 「すみません。じゃぁお世話になりま「そんなことは許さない!愛しのキラは俺が連れて帰るぅ!」 嫌ぁ〜なタイミングで嫌な声が割って入った。そしてわがまま社長の大暴走は始まった。 「あなた一人に預けては、キラさんがとっっっっても心配です」 かすめ取られたキラを取り返そうとニコルが手を伸ばすが、アスランの方が身長が高いこともあり、思うように手が届かなかった。 キラはと言うと、アスランの手に掴まれたまま、顔を真っ青にさせ助けてと悲鳴を上げている。 「心配なことは何もないぞ!俺とキラとでうれしはずかし、恋人同士と言えば念願の同棲生活を始めるんだ!」 「だからキラさん承諾してないでしょう!無理矢理はやめなさい」 「無理矢理じゃない!キラと俺とは婚約するんだ。そして二人で幸せ一杯の円満で、誰もがうらやましがる新婚生活を…「社長!何言ってるんですか!僕そこまで約束してません」 「嘘だ!キラだって言ってくれたじゃないか!俺のこと、前から好きだったって…「言ってませんっ」 「さぁアスラン!観念してキラさんを返して下さい。あなたと二人きりにして、間違いが起こってからでは遅いんです」 ふとアスランが動きをぴたりと止めた。神妙な面もちでニコルに聞き返す。 「ちょっと待ってくれニコル」 「何でしょうか!変態」 「キラこのサイズなんだぞ?」 「わかってますよへたれさん」 「いちいち語尾に余計な付け足しをするな!それよりもだ。こんなサイズのキラに俺に何ができるって言うんだ!」 「「…ぁ……」」 ニコルとキラのセリフが被った。 「キラさんの貞操の危機はないと?」 それでも確認せずにはいられない。 「だからキラこのサイズなんだから、いくら入れたくっても入るわけないだろ…「下品〜〜〜〜っ」 「あ…ごめんキラ」 第13話へ→ 言い訳v:モデルは岩●書店さんの『広●苑』。辞書と言うよりもはや辞典? 次回予告:変態暴走野郎のミョ〜なこだわり。キラ…遂にザラ家にお持ち帰り!!! |
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